同じメンツで色々な名前の会社があった

この時期に関することは、本来暴露してはいけないことだと思う。
しかしもう10年以上もの年月を過ぎた今では、こんなことに興味を示すのはマニアだけであろうから気にしないことにする。
オルカが倒産してからビルを追い出されるまでに、実は1本のゲームがリリースされている。
『バスター』というロボット・シューティング・ゲームである。
しかしメーカー名はオルカではなく「セサミ」となっている。
社名が違う理由は敢えて述べないが、このゲームはけっこうレトロゲームの話題で多く見つけられる。
ゲーム内容に加えて必ず「セサミという会社はどうなったのでしょう?」という疑問文が付く。
このゲームのチーフ・プログラマーとチーフ・デザイナーが実は後の東亜プランが発足する時の要になっていることはあまり知られていない。
そしてさらに、このプログラマーが今は、あの『闘神伝』『チョロQ』を制作したソフトハウスの社長であることや、このデザイナーがあの『怒首領蜂』『峠KINGシリーズ』を制作したソフトハウスの社長であることなどは、もっと知られていない。
(ごめんなさい、言っちゃいました)

オルカがビルを追い出されて、3ヶ月ほど自宅待機をさせられた後、オルカのソフトチームは新会社を発足する。
名前を「クラックス」という。
実はその前にも「トーコム」とか色々社名が変化していたが、現実に登記されていたかどうかはわからないし、商品がリリースされていないので無視する。

この会社でのタイトルは、タイトーからリリースされた『ジャイロダイン』がある。
進行方向によって左右に首を振るという、独特の操作性をもつヘリコプター・シューティング・ゲームだ。
つまりこのゲームは、後の東亜プランのヒット作『タイガーヘリ』や『究極タイガー』などのヘリコプターものの元祖なのだ。
しかし、この会社もまた経営難から倒産することとなる。
ここまでくるとさすがに、そのままゲーム創りを続けようとする人は減るし、やがて各人の進路もばらばらになっていった。

この後前述の二人と『ジャイロダイン』を制作したプログラマーが、東亜企画という会社に移ってソフト部門を発足させたのが東亜プランの始まりである。
東亜企画はもともとゲームのオペレートや流通などを業務としていたと聞く。
私も誘われていたが、とりあえず開発中の作品があり(会社は倒産していたが)それを仕上げてから移籍することとなった。
その時私が制作していたのが、セガだか九呉貿易だかからリリースされた『リパルス』である。

この後はいよいよ東亜プランに続く。

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